過去は忘れられる。まるで水面の波紋のように

何もない水面に小石を投げ入れると、水面に波紋が生まれ広がっていく。それは、浅く広く広がり、そして、いつの間にかいつもの静けさを取り戻している。まるで何事もなかったように。歴史もそうではないだろうか。変革をもたらすほどの出来事。
しかし、本当のことは何もわからず、ただ、文献に残されたことを解析し、過去はこうだったのだろう。と憶測でしか語れない。化学は進化し多くの事柄がわかるようになってきたが、それでも、過去の事は過去に生きた人物でしか知りえないだろう。
歴史に名を残す人物であったとしても、その人物が何を考え生きてきたのか、現在に名を残す程の人物であろうともその人物についての事は本人でしかわからないであろう。
むしろ、名を遺した人々は自身の名を残そうだなんてことは全く考えてなかっただろう。ただ、ひたすらまっすぐに生きることだけに必死だったのではないだろうか。きっと、そういう偉人ほど自身の名を残そうだなんて考えてはいなかっただろう。
いや、野心を持つ者たちはそうではなかったのかもしれない。しかし、其の人物たちは自身の野心のために過去を大きく揺るがす改革を起こした故に歴史に大きく名を刻まれることになったのだろう。野心であったとしても、国の行く末を決めるほどの事をしてきたのだから。
しかし、大きな出来事であったとしても、過去は過去。時間の流れにはあらがえないようだ。時間の経過毎に大きな事柄は過去の産物とかし、時間の片隅に残され消えていく。しかし、忘れてはならないこともたくさんあるはずだが、それも、時間がたつにつれ人々の記憶から薄れていく。
例えば、第二次世界大戦なんかはどうだろう。今現在、実際その経験を知る人たちが天命を迎えていなくなったら、それは過去の産物となりえるかもしれないのだ。昔に比べ戦争の悲劇、苦しみを語る人がいなければ、過去の悲惨さをわかるものはいない。
戦争時代を生きてきた人々にとって、過去の凄惨な過去を思い出すのは苦しくつらいことだろう。しかし、戦争は起こしてはならないとわかっていながらも、多くの国で諍いが起こっている。過去を忘れて。
今はこれでも小さな諍いなのかもしれない、しかし、波紋のようにいくつもの波紋が多方向から重なり合うと、大きな波が生まれる。その大きな波、それが戦争だ。
人は忘れるそして繰り返す残酷な歴史を。一度忘れられた過去を知ることは難しい。知っているのはその時代に生きた当事者達だけなのだ。そう、まるで水面に落とされた石と波紋のように。